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過失、故意、汚泥、トラジェディとコメディ 

 「『顔のない独裁者』のヒロインである『涼月みらい』の性格や行動が分かりにくい」と感想を頂いたことがある。私としては、彼女を支配しているのはエディプス・コンプレックスとストックホルム症候群かとの思惑でキャラ設定をした。
 どうにも心理学や精神病理学ネタが大好物なのである。そして自作の登場人物は全員、どこか歪な人格の持ち主で、一癖も二癖もアリの高IQ組。そんな変人らをシチュー鍋にて「ごった煮」に、美しい芸術や植物のモティーフで過剰な装飾を施したうえで、花の薫りのスパイスをふんだんに振りまいて。私は、そんな創作が好みだ。

 物語のヒロインが、エディプス・コンプレックスとストックホルム症候群に支配されている。ならば、ヒーローである「秋川進」はどうか?
 私としては進のキャラクターとは、著しい天才性を伴ったアスペルガー症候群の青年、とでも言ったところ。進の不器用さ、根本的な自信(あるいは真の自主性)の無さ、しかしある特定の分野においてはまさに尋常でないレヴェルの天才性を発揮する。(全てのアスペルガー症候群のかたに当てはまる特性について述べているのではありません。あくまで、進についての設定になります。)
 秋川進とは、甚だしく手のかかる、しかし決して捨て置けない、私の最愛の子供。

 さてもう一人の主要登場人物である、駒ケ根岳人。いや主要どころか、独裁者はみらいと駒ケ根との物語だろう。実のところ進は添え物の存在に過ぎない。

 駒ケ根という男は、劣等感の塊だ。生まれ落ちた家庭の極度の貧困に加え、家族の愛情の交歓の皆無のうちに根幹の人格形成を余儀なくされたこと、性の魅惑ではなく醜悪のみをまず目の当たりにし、美しいものを見ることも聞くこともなく身体ばかりが育ってゆく。その過程に、精神の成長は大きく見られもせず。
 無条件の愛情をその身に受けた幼子は、自身の中心に強い軸を持ち育つ。その精神の軸こそが、もしも逆境にあったとしても負けない強さを作るのだ。そんな当たり前の、ごく小さな幸せの種を得られずに育つことは、駒ケ根にとって最初にして最大の不幸だったことと思う。これは、明らかに彼の責任ではない。だからこそ、世界は、社会は、罪深い。

 駒ケ根がなお子に恋をしたのは、彼女は自分にないものをすべて持っていたからだ。恵まれた容姿、温かく裕福な家庭、まるで聖母かのように溢れる慈愛の心。美しいものを美しいと言い、他者に嫉妬することも蹴落とそうとすることもなく、穏やかに優しいときを生きている。
 まったく正反対の存在への憧れ。しかし駒ケ根のゆがんだ心は、なお子に憧れながら同時に激しい嫉心に燃え憎むという、救いのない道に迷い込む。
 駒ケ根はなお子を得ることによって、自分の価値を引き上げようとした。その蛇のような執着が、彼を突き動かす原動力ともなったものだ。だが彼が得たのは結局、駒ケ根の闇に飲まれ、もとの白色を奪われ灰褐色にまで落ち切った、うらぶれた老女だった。
 駒ケ根よ、自身の生まれの不幸を差し引いたとしても、なお子をここまで落としたことに関しては、責任を感じるべきと思う。

 深淵をのぞき込めばその闇は深く、果たして光はいずこに。それでも歩いてゆくしかないんだね。どれほど真摯に足掻いたって、所詮この世に在るはすべてコメディと。

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