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向日葵について未だ思い悩む 

『真冬の向日葵』を読了した方にお会いする度に、
「さかきさんは藤沢か、もしくはその周辺に住んでいるのか」
「SFC卒ですか」
「雪乃たちの会話やメール、マスコミ報道を見ての違和感は、さかきさんの実体験をそのまま書いたのか」
などと聞かれることが多かった。

どれも、違う。
私は想像で書くだけだ。

中には、
「自分の経験をそのまま書かれているようで驚いた、雪乃は私そのものだ」
と言ってくださる方もいた。
この方は、慶応卒で、マスコミに就職したのだ。

私が得意だと自負していることに、臨場感を出す、まるで本当にその人物が存在しているように動かす、ということがある。
上記の読者の感想はこれを裏付けるもので、作家冥利につきると思う。

だいたい雪乃や若菜らは二十歳そこそこ、あんな若い子たちの会話、本当はどんなものなのか皆目わからない。
藤沢どころか、神奈川県に住んだことすら一度も無い。
見知らぬ人とのメールのやりとりなど、私であれば、背筋が寒くなるような恐ろしい行為だ。

向日葵に関して今でも思い悩むのは、時間が足りず、自分としては50点のできのまま刊行されてしまったこと。
作業期間3か月強、本業の傍らひとつの作品をきちんと仕上げることなど、常識的に不可能だ。
それでも全力でことにあたったが、読者に申し訳なかったと常々考えている。
もうひとつ、私の意向ではない点に、「強烈な設定」ということ。
「彼氏をいい加減な性格にし、メアド事件を起こせ」や「明確に悪役を作れ」など。
私の好みではない。

人が誰かに陥れられるとき、大きな陰謀が働いていることなど少ないと、私は考えている。
人ひとりひとりの小さな悪意の積み重なりが、きっと、人を絶望の淵へ追い込む。
絶望は、体をも蝕む。
逆に、小さな個人が善意を行使し、その効果が広がれば、救える命もあるということだ。
それをせず傍観する者こそ、“人殺し”だと思う。
そういう思いで、向日葵の構成を考え、書いた。

私一人では、ただただ悲劇が淡々と進み、ひたすら悲しいだけの物語になったろうと分かっているので、共作であったことは功を奏したのかも知れない。

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