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※こちらのコラムは、雑誌やメルマガ寄稿文に加筆修正をしたものです。

凶器にすらなる言葉の魔力 

本日は多分に観念的なコラム、カテゴライズするならば心理学の範疇のおはなしになります。
今日のテーマは、「他者の心すら支配してしまう最強の凶器」。
凶器、とは随分と物騒、と感じられるやも知れません。
しかしここで言う凶器とは、実はすべての人が日々気軽に使用しているツール、“言葉”のことです。

例えば、人を責め苛むという行為について、考えてみます。
この手段には物理的な暴力と、精神的な暴力とがあるでしょうが、どうも世間では物理的なヴァイオレンスのみが重大視されているように見受けられます。
あくまで私見に過ぎませんが、肉体的外傷以上に、精神的外傷による辛苦は根が深い、と感じるのです。
勿論、身体に受けた傷を軽んじているのではありません、そうではなく、例えば身体的に傷を受けた場合にも、同時に精神にも傷を受けることがあり、しかし体の傷が的確な措置により着実に癒える一方で、心の傷は治療されることを忘れられ存在し続けてしまうことがある。
それが恐ろしいのです。
モラル・ハラスメントは目に見えない分、それによって受けた傷の治療は困難であるとは当然のこと、それ以前に傷の存在を認識されずに終わることすらある。
これほどに恐ろしい時限爆弾があるでしょうか?
治療をされず放置された傷は体内奥深く静かに膿み続け、臨界点に達したとき、とうとうそれは爆発する。
そのときこそ、この傷の恐ろしさについて思い知らされるのだと思います。

もっとも人の精神に影響を及ぼす事物とは、結局のところは他者の心なのではないでしょうか。
ある者が心を使い、またある者の心を支配さえすれば、その他者の全てを操ることが可能です。
行動も思考も、はては相手の人生すらも。
だからこそ“言葉”は恐ろしい。
言葉こそは、心、精神を形にしてしまう、最高の様式であるからです。
無形であったものに、依代と力とを与えてしまうのです。

責任感を伴わない言葉の濫用は、人殺しの振り回す凶器に同列であるでしょう。
しかし呪である言葉は、同時に、祝でもあります。
人の心を救い、幾多の咎や呪縛から解き放つのもまた、人の心です。
もしも言葉を使いこなし、呪縛に捉われた人の心の救い手になれるのであれば、これ以上に素敵なこともありますまい。

あまた学問がこの世に生まれ、それを究める者が現れ続け、死に、また生まれ。
しかし全ての知の源泉は「心」、さらにはその心の体現である「言葉」なのだと考えています。
言葉無くしては世に知も善も明確に姿を現さず、確固たる悪も認識されることかないません。
さあその上で、あらためて、言葉に思いを寄せてみると。
人類の得た素晴らしいツール、“言葉”をどのように使うのか、それについて思いを馳せることは、叡智持つ我々の永遠の課題であり、侵されざるべき権利であり、義務であるのだと、私は思うのです。

今一度、言葉の持つ魔力について考えてみるのも良いかも知れません。
できれば多くの方が、言葉の持つ無限の力を、周囲の人々への思いやりの発露としてお使いくださり、その相乗効果によって人々が更に互いへの思いやりを深めていかれるよう、願うものです。
例えばある目的の為にぼうぞくな個人攻撃を為す方も少なからずいらっしゃいますが、私はそれをよしとしません。
崇高な目的のための行為であったとしても、他者への口汚い攻撃が醜いことに変わりはありません。
それがどれほどその分野において著しい効果をもたらすものであったとしても、やはり私は敢えて今後も、「それは醜い」と言い続けることでしょう。
何故なら人は、他者に優しくなければ、生きている“かい”が無いのですから。

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