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※こちらのコラムは、雑誌やメルマガ寄稿文に加筆修正をしたものです。

本を購入することの意義 

皆さまは、”本”をどのように読まれていますか?
書店で購入して、または友人から借りて、はたまた古書店で中古品を購入して、それとも図書館で借りて?
勿論どのような手段で読んでいただいたとしても、著者にとっては有難いことです。
しかし時折、「応援したいと思う作家の本に関しては、一冊で良いから購入してほしいなあ」と、考えたりもします。

これは勿論、「古書や図書館で読まれると、作家に印税が入らないから」とかいう単純な理由によるものではありません。
私が危惧しているのは、つまり、「良いと思う本について読者がお金を使ってくれない状況が続くと、長い目で見れば、世に良書が出る可能性が低くなる」ということを訴えたいのです。

「感動をこの手から生み出したい、世に貢献したい」と切に願い執筆している作家も、多いと思います。
そういった作家が死にもの狂いで書いた本が、ほとんど購入されず、中古市場やレンタル市場でのみ出回ったら。
その作家の仕事の価値は、見る間に下がっていきます。
例え「面白い、世のためになる!」という本が出版されたとしても、その本に対してお金を使う方がいなかったら、いつかは絶版になるでしょう。
その作家の本は「売れない本である」として、次作を出そうという出版社がなくなってしまうことも、ままあります。
それは、ただその作家生命を絶つというのではなく、人類の次代に残す文化の一部も、絶たれるということです。

知的財産に対価が支払われない世界では、最終的に文化を衰退させ、人間の知恵を後退させさえすると、私は考えてしまうのです。

無論、忘れてはならないのは、図書館や古書店にも大きな存在意義がある、ということです。
例えばその地域に文化意識を根付かせるとか、お小遣いの少ない子供でも好きな本がいくらでも読めるとか、不況や様々の事情によって嗜好品にお金を使いにくい方にも知識教養を得る機会を保持する。
素晴らしい意義です。
ですが、お金を稼ぐことが可能でありかつ生活に余裕がある方には、「本を購入することの意義」について再考をお願いしたいのです。

私は美術館に行くことが多いのですが、作品の前に立つたびに、その作家の人生を思います。
絵が描かれた時代の歴史的背景や、また、現代より遥かに不便な時代に、お金もほとんどもらえないままに絵筆を握り、作品を仕上げたということ。
それらに思いを馳せれば、筆の跡ひとつひとつにさえ、心が震わされます。
時にはまるで、その作家が今この瞬間にも生きているように、私の真横に彼が佇んでいるように、彼の息遣いをも間近に感じるほどに。

作品は、人が死んでも生き続けます。
人の命は短いが、作品の命は永く、未来の人々を幾世代にも幾世代にも亘り、感動させ続けることでしょう。

戦争の無い時代や場所に生れ、絵を描きたいという気持ちを得て、パトロンがいて、画材も豊富に有り、本人に才もある。
そんな恵まれた環境で絵筆を握れた画家など、きっと少ないですよね。
現代社会において「巨匠」または「天才」であると絶賛され、ひとたび展覧会が開かれれば何万、何十万という来場者数を記録する作家でも、生前においてはまったく評価されず、その日暮らしの生活の中で情熱のみを頼みに作品づくりをした、そういう人が殆どでしょう。
カンヴァスを目の前に、私はいつも思います、
「この作家がもう少し長く生き、描ける状況をより長く持てたなら、どれほど多くの絵をさらにさらに描いてくれたことだろうか」と。
その作家が生み出すかもしれなかった幻の名作を思い、切ない気持ちになるのです。

街を歩いているときに美しい花束を見つけ、その色合いや組み合わせ方が素晴らしくて、「このブーケを作ってくれた人に、また素敵なものを作り続けて欲しいな」と思ったら、私はそのブーケを正規の値段で買いたいと思う。
それはその花屋さんの収入になり、花を育てた農家の方の収入になり、花束に結ぶリボンのメーカーの収入になり、針金やテープのメーカーの収入にもなる。
そして当然、ブーケを作ってくれた店員さんの収入にもなるでしょう。
そのフラワー・デザイナーの生み出す作品によって、あらたな感動を与えられ続けたいと、私は切に思うのです。

とまあ、随分熱くなってしまいましたので、ここらでお開きの方向で。
本を書いている私が言うのも、何やら手前味噌のように感じられるかも知れませんが。
“本を購入することの意義”について、上記のような見方というのもあるのだと、読者の皆様の心のどこかに置いて頂けたら嬉しいなあと、考えております。

さかき

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