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※こちらのコラムは、雑誌やメルマガ寄稿文に加筆修正をしたものです。

なぜ枷が必要なのか 

現在、さかきは新刊執筆の真っ最中・・・。
当然ながら移動中もホテルでも、PCと睨めっこし通しであります。
さて今回の「顔の無い独裁者」、テーマは、「行き過ぎた自由は、人を不幸にするかも知れない」ということです。
“自由”とは一見美しく、聞こえも良い言葉ですが、それが行き過ぎるとどうなるの?

伝統工芸を例に挙げて考えてみましょうか。

先日ミャンマーに行った折、地元の漆塗り工場へも見学に行きました。
観光ガイドの男性によると、もともとはミャンマーの一少数民族であったムン族が、漆塗りの文化を持っていたそうです。
それが非常に素晴らしい技術だったため、バガンの王家によって保護されるようになり、現在ではミャンマーの主要伝統工芸にまでなっています。
地元の大学には、漆工芸を学ぶ学科が設置されているとか。

漆工芸とは、他の伝統工芸同様に、出来上がるまでに非常に多くの手間がかかります。
まず竹などで土台を作るとその後は、漆を塗り、乾かし、磨き、塗り、乾かし、磨く、と、こういった作業を幾度となく繰り返すのです。
ミャンマーの漆は柄が入っているものも多いですから、色入れなどもするのですが、この場合は模様を彫って、色を入れ、また漆を塗り、磨き、また柄を掘って、色入れ、塗り、磨き。
これをもう、何度も何度も繰り返すのです。
正直なところ、面倒で、まどろっこしい作業です。

で、もしも例えば、ここにプラスチック製の器を作っている会社の社長さんが現れて、
「こういった作業は時間と経費が余分にかかる。漆の代わりに、速乾性の合成塗料を使いなさい」と指導したら。
勿論その結果として、素早く加工できコストも安い、便利な器ができるでしょう。
でも、それでいいの?

不自由さとか、“枷”とも言うべきものは、人の創意工夫を刺激します。
その苦労から新しい技術や、また芸術が生まれる、というのは、ままあることですよね。
ですから、すぐに「簡略化」「自由化」「規制緩和」とか言うのは、その分野を衰退させてしまう可能性もあるように思います。

それに、規制、またはルールというのは、そのもののアイデンティティである場合も多いですよね。
つまり、漆工芸の場合は、「漆という扱いにくい植物を使いながら、職人さんの昔ながらの技術によって、素晴らしいものが仕上げられる」、その部分に大きな魅力があります。
たとえ漆器が扱いにくく、使用した後はすぐに洗って優しく拭かなければいけない、とか、ちょっと不用意な使い方をするとハゲル、とか、そういった不自由さがあったとしても、やはり歴史ある本物の伝統工芸品は人を魅了します。
プラスチック製のお重が漆塗りのお重の外見とほぼ変わらなくても、やはり大事なお客様をもてなすときや、個人的に素敵な時間を持ちたいときは「本物の漆がいいな」と、多くの方は感じるのではないでしょうか。

さて現在執筆中の「顔の無い独裁者」に話を戻しますと。
これは、元々、数年前に三橋先生がおひとりで書かれた「新世紀のビッグブラザーへ」という小説があったのですが、この続編を世に出したい!という三橋先生の強いご要望により、スタートした企画です。
さて実は私、「新世紀のビッグブラザーへ」という作品をきちんと読んだことが、これまでありませんでした。
そんな私が今回、新ブラ続編を書くことになったのは、三橋先生からの、「さかきが描く、新ブラ2が読みたい」という、めっちゃ、めっちゃ、強い要望によってでした。
いざ要望があり、試しにシンブラ1の設定を読んでみたところ、そのあまりの過激さに私は卒倒しそうになりました。
で、当初はこの依頼から丁重に逃げまくっていたのですが、最終的に、「根本の社会構造や政治経済の設定と、主人公の名前だけ変えなければ、好きに書いていい」という約束をとりつけ、書くことを決意致しました。

いやあ元来ネクラの私ですから、例えば「グロイ」とか「暗い」とかは大歓迎なのです。
明るいコメディを書くよりも、暗鬱な悲劇を書くほうが好みであるし、第一、格段にラクです。
が、「政治的な過激さ」というのは、さかきにとって大変にハードルが高いのです。
基本、私は他者への攻撃が大の苦手ですから・・・

しかしですよ。
と、言うことは、この執筆には最初から、“不自由”な枷が課せられているワケです。
そしてその“不自由さ”こそが、まさにブレイクスルーを起こす、かも知れんワケですわ。
あ、今気づきましたが、「〆切」だって、十分に“不自由”な要素ですよね!
おーう、良い作品が生まれる土壌は完璧に用意されてるぜ~!(やけくそ)

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