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世間における、「寡欲」の無力 

数日前の話だが、少々ショックなことがあった。

口論が苦手だ。
文章を書くときの私はまさに水を得た魚のごとく自由なのだが、どうも、人前で話をしたり議論をしたりなどの際には、本領発揮することができない。つまり、私は相当な“しゃべり下手”。

いま思い返しても、この数日前の災難は、酷いものだった。はっきり言って、明確にトラウマになったレヴェル。
どうしたもんか、と懊悩に沈み切ってはいるが・・・しかし、自分で頑張るしかないからな。
いくら「傷ついた!」「酷い目に遭った!」と主張したところで、助けてくれる人など現れないのが、この世の常。
とにかく、どこまでも、自分自身の力で立ち直るしかないわけである。

良い機会なので、ここで、「セクハラ発言や行為・女性蔑視の発言や行為など」についての自身の考えも、少し書いておこうと思う。
実は私は、自分の父を、心から尊敬している。
父は、女性に対しての深い敬意を忘れない、精神の貴族だった。風俗やらの性サーヴィス店を利用するなど「もってのほか」、それどころか、ホステスがいるクラブなどに酒を飲みに行くことすら、忌み嫌っていた。人権を無視し、女性を“性の対象”としか見ないことや、容姿や年齢によって女性の優劣をつけることなどを、父は軽蔑していた。
そんな父が昔に語っていたことで、強く印象に残っている言葉がある。
「女性というのはガラス細工のようなものなんだ。いくら大事にしても、し過ぎることはない」
と。
このような父のもとで愛情を受けて育った私は、セクハラ行為をする男性を、それだけで、深く軽蔑してしまう傾向にある。

したたか傷ついてしまったとき、何気ない、他人の笑顔や小さな善意に救われることがある。ここ数日の私の場合、それはスーパーのレジ係の方であったり、新幹線の検札をする車掌の方だったりもする。
たとえばスーパーで会計の際にクレジットカードを差し出すときに、無言ではなく「支払はこちらでお願い致します」と言い添え、会計が済んだ際にはレシートを受け取りながら「ありがとうございます」と言う。つまり、客と店員が、同時にお互いに礼を言い合うのである。すると大抵、店員のかたは、嬉しそうな表情をしてくださる。
まったく金にも得にもならない行為だが、私は、これが嬉しい。そして、「まだもう少し、人間を信じてみよう」と思い直すきっかけを頂けるのである。

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