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徒然、覚書、乱文、等々 

文学のはなしから。

太宰も中高生のときに全作品読んだ。たしか晩年の冒頭にあったよね、安楽な暮らしをしているときは絶望の詩を書き、絶望の生活をしてるときは生の喜びを書きつづる、と。

たとえば立原道造と同時代を生きられたなら、わたしは間違いなく立原に恋をしていただろう。立原道造は繊細かつ秀才で、感受性が豊かなゆえのこころの弱さを抱きながら、しかし強さへの憧れを持っていた、ロマンチスト。
立原の秋の詩で、とても素敵なものがあった。おそらく彼は、紅葉した木々のなかを歩きながら、もしくは落ちた枯れ葉を踏みながら、その詩を作ったのだと想像する。孤独を自覚し、それでも強さやひとの温もりに憧れた、自分を律しようと努めていた、そんな立原が私は好きだ。
もし立原に会えたなら、何もかも話せるのにな。そうしたらどれほど救われることか。繊細な感受性の持ち主というのは、年齢を重ねれば重ねるほど、出会える確率は下がっていく。それは稀有で、天文学的レベルで低い確率なのだと感じる。晩秋の詩の叙情を共有できる人がどれだけいるだろうか。

わたしはこの顔のつくりや体の小ささ、しゃべる声の音域の高いこと、ファンタジーや詩を愛することなどから、誤解されやすいのだ、きっと。しかしわたしの本質は「お花畑」ではないんだ。あまりに多くのことを見たからbraindead virtually,だからこそ生の喜びを書きつづり、多くのひとの幸福を望んでいる。
SNSやブログやコラムや詩に書けることなんて、わたしの表層の、ごく一部の感情と情報だ。それらによって、わたしを理解することはできないね。ましてや、匿名掲示板に他人によって書かれる情報など、真実とは大きくかけ離れている。人は、ある人について知りたいと思ったら、直接交流しなければならない。
i’ve seen so much,i’m brain-dead virtually,わたしは皆の幸せや平穏を祈り、美しいものや楽しいもの、面白いものを求めるよ。

2018-12-09-13-55-50-477

一例。
1さんから2さんへaを送り、そのうえで新たに1さんは2さんへbと言う。この場合、1さんとしては2さんへabを渡しているつもりである。そして2さんから1さんへcという返事が届く。1さんとしてはabcの意味で受けとる。しかし、2さんがaを受け取っていなかった場合、2さんの認識ではbcである。
齟齬。

情報リテラシーの重要性。

拙著『顔のない独裁者』の「私という存在」の章でも取り上げたが、コロッセウムでbetされる側になることのトラジェディ。昔から強い問題意識を持ってきた。
しかしbetも気味悪いが、それだけでなく、猛獣と信徒の例で言えば。顔を晒して、命を失う危険と戦ってる人々を、喜んで観ているのが同じ人間、というね。暴君ネロの恐ろしさは皆が知っているからまだいい。普通の良識ある市民が、人が食い殺されるさまを手を叩いて観覧してることが気味悪いんだな。
わたしはこの問題について長らく憂慮してきたし、今後も改善を祈っていくだろう。それが多くの人にとって「より善」だと思うからだ。
ただこのアプローチに、幾つか道筋が在るのは確かだね。

2018-12-09-13-52-53-816

(何度も書きますが、わたしは独裁者で政権批判をしたかったわけではありません。正直、わたしは、政治に対しては意見したくないのです。結局なにが正しいのか、わたしでは分かりかねますから。ただ、独裁者で「大衆問題」を扱いたいと考えていたのは本心です。)

参考までに
➤大規模調査でわかった、ネットに「極論」ばかり出回る本当の理由
『ネットでは極端な批判・非難ばかりが展開される。その原因は、「ネットは実社会に比べて攻撃的な人が多い」せいではない。実際には、「極端な意見の人が大量に発信している」のである』

以下、加筆。

➤スマイリーキクチ中傷被害事件

➤『突然、僕は殺人犯にされた』

➤「ネット中傷に関して思うこと」

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