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「希臘から来たソフィア」あとがき 

 ギリシアは、筆者にとって思い入れ深い国である。何故なら、若き日に哲学を学び始めた際に先ずもって手にしたのが、古代ギリシア哲学の名著の数々だったからだ。
 ソクラテス、プラトン、アリストテレス。その名は世間に著しく浸透する大賢人だが、彼らの思想に触れる機会はそれまで無かった。哲学専攻に入学後、初めて読み下した哲学書は、おそらくプラトンの「饗宴」であったと記憶している。初夏の日、キャンパスの片隅で独り文庫本を開き、活字を目で追った。すると繰っていた頁のそこかしこから、ギリシアの空のシアン色と、壮大なパルテノンの白さとが鮮烈に浮かび上がったのだ。
 学術書を紐解き、それが著された国の情景がまざまざと脳内のスクリーンに展開されるということは、少ないのではなかろうか。しかしギリシアという国は、極東の島国に住む一学生に、その不可思議で甘美な魔法をかけたのだ。以来、遠くて近い、どこか懐かしい国〝希臘〟が、私の中に息づいてきた。
 昨年五月、経済評論家の三橋貴明氏との共作の第三弾として「日希両国の経済と文化を比較できる、エンターテイメント性の高い教養小説」という企画を自由社から頂いた。その企画会議の場において、私の心は高鳴っていた。長らく眠っていたギリシアへの憧憬が、再燃の契機を得たのである。シアンの空が、またも眼前に広がり、眩しく輝いた。その後、九月より取材と資料収集を始め、そして十月に敢行したギリシア取材、伊勢神宮取材。この取材の一日一日に得た感動を、物語として世に出せることの喜びを、今、噛みしめているところだ。
 先にも述べたように、本書は三橋氏との共作の第三弾である。第一作目の『コレキヨの恋文』(小学館)では、国民経済と政治家のあり方について。二作目の『真冬の向日葵』(海竜社)では、報道と情報、そして情報の受け取り手である人間について。今回の『希臘から来たソフィア』では、祖国と血の意味、歴史や民族文化の価値について読者に訴えかけたいと思い、筆を進めた。
 国に対する意識について、日本では口の端に上らせることすらタブーとされて久しい。しかし世界には常に紛争が存在し、国や民族、あるいは思想や宗教に起因する戦いが繰り広げられているのだ。それらは痛ましい出来事だが、同時に、人間という生き物にとっては至極自然に起こりうる現象でもある。この状況下、日本人だけが国家観について明言を避け続けているのは、不可解だと感じる。
 筆者は思想的に右でも左でもなく、単に一日本人として自国の文化と歴史を愛し、今後も日本が幾久しく存続していって欲しいと願うに過ぎない。それは何ら不自然な行為ではなく、ましてや危険な思想などでは全くなく、私見を述べるならば畢竟するに好悪の感覚、個々人の持てる美意識の問題であると捉えている。日本文化の美に魅せられる私は、我々の文化は美しいと素直に口にする。ただ、それだけのことである。
 日本人が古代ギリシアの哲人の書を読めば自然と、ギリシアの海と空、オーソドクスの教会、アクロポリスの光景が、順に記憶の小箱から引き出されるように、異国の人が例えば枕草子を読むとき彼の脳裏にはきっと、日本の神社仏閣、緑生い茂る山並み、舞い散る桜花、和服の人の立ち姿が想起されていることだろう。各国の文化とは本来、このように穏やかに在るべきと考えている。決して、血なまぐさい政争の具になって良い種類のものではない。さらには国という概念についても、同様に穏やかであって欲しいと、日々願って止まないのである。
 私は争いを嫌悪する。誰かを攻撃し、蹴落とすことを忌み嫌う。叡智を持つ我々人類は、境界線の向こうの人々と共に手と手を携えて、より良い方角へ船を漕ぎ進められる筈だ。その針路を過たないためにも、各国の育て保持してきた独自文化は大きな役割を果たす。他国の人をも魅了する文化芸術は、国と国との摩擦を減らす最良質の潤滑油であると、私は信ずる。人間とは性悪説に沿って本能を行使して生きているのかも知れない、しかし〝叡智〟は、それでも人に「誇り高く生きよ」と、途切れることなく語りかけてくるのだ。

 さて暗鬱な過去の物語であった前作『真冬の向日葵』から一転し、『希臘から来たソフィア』は、近未来の明るい恋愛物語です。憚りながら『コレキヨの恋文』から三冊通してお読み頂き、〝国と人とが備え持つべき叡智〟について、あらためて考察を深めて頂ければ幸甚に存じます。

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